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Essay·2026.02

逃走するマリー — 甘さを批評に変えるということ

1783年、エリザベート・ヴィジェ・ルブランが描いた《シュミーズドレスのマリー・アントワネット》は、スキャンダルとともに展覧会から撤去された。王妃が下着のような薄布をまとっていたからだ。女性像は常に、誰かの視線の規範の内側で許され、あるいは罰せられてきた。フラゴナールの《ぶらんこ》の戯れも、ブーシェの神話画の裸体も、見られるための女性として構成されている。

『L'ÉCHAPPÉE(逃亡)』は、この系譜に対する反転の試みである。マリー・アントワネットというアイコンを、悲劇の女王としてでも、浪費の象徴としてでもなく、〈逃げる意志を持った主体〉として描き直す。1791年、ヴァレンヌ。史実の彼女は捕らえられた。だが、もし逃げ延びていたら——という反実仮想は、ノスタルジーではない。消費された女性像から行為の主体性を取り戻すための、批評的な装置である。

「パンがなければお菓子を食べればいい」。彼女が言ったという証拠のないこの台詞は、彼女を断頭台へと運んだ。Lui.F はそれを逆手に取る。誰の許しも得ず、世界中の美しい場所で、自らの意志でスイーツを頬張るマリー。甘さ・過剰・装飾——ロココの語彙は、ここでは弱さの記号ではなく、女性性をめぐる歴史へ差し向けられた批評の言語として選び取られている。

技法もまた、この主題と響き合う。複製技術であるジークレーの上に、一点ずつ手で加えられるジェルメディウムの立体と真鍮箔。複製と一回性、量産と固有性のあいだで、作品は「誰のものでもありえたイメージ」を「この一枚」へと引き戻す。それは、アイコンを個人の手に返す行為に等しい。

— Lui.F